仏教とは約二千六百年前にお釈迦様の説かれた教えです。

 お釈迦様はお名前を「ゴーダマシッタールタ」といい「釈迦国」(現在のネパールのあたり)の王子様としてこの世に生を受けました。何不自由ない暮らしをしていましたが、これが永遠ではないこと、更には、「生まれること・老いてゆくこと・病にかかること・死んでいくこと」(四苦八苦)これらのことからは逃れられない(人間の力ではどうすることも出来ない)ことを憂い、二十九歳で出家し、三十五歳で悟りを開かれました。

 それからは、悩み苦しむ人々に、それぞれの悩みに応じて法を説かれました。これを対機説法と言います。 

 有名な話ですが、あるところにキサゴータミーという女性がおり、ようやくよちよち歩きができるようになったばかりの一人息子を失い、半狂乱となりながら息子を生き返らせる薬を求めてお釈迦様のもとを訪ねます。

 キサゴータミーの状態をみてお釈迦様は「一人も死者を出したことのない家から白いケシの実をもらってきなさい。そうすれば息子を生き返らせよう。」と伝えられました。

 キサゴータミーはすぐに村中を回りましたが、「私の家では昨年祖父が亡くなりました。」「私の家では三年前に父がなくなりました。」と、どこへ行っても死者の出ていない家はありません。生きているものより死者の数の方がずっと多く、誰もが命を終えていくこと、だからこそ尊い「いのち」を大切に生きていかねばならないことに気が付き、お釈迦様のもとに戻ると、我が子の遺体を荼毘に付し、出家して仏弟子となったのでございます。

 お釈迦様はこのようにして多くの弟子と人々を救い、八十才で入滅されるまで説かれた教えを死後、弟子達の手によって編纂され体系化されたものが「仏教」です。

 その後、「上座部」と「大衆部」が根本分裂し、上座部はタイ、スリランカ等大衆部は大乗仏教として中国から日本に伝わりました。  

 大乗仏教は大きな船に多くの衆生をのせて菩提の岸に赴かんとする教えであり、罪を石ころに例えると小さな石も川に沈むが船に乗せれば岩石も運ぶことが出来るのであります。